【IPO完全ガイド】アメリカで上場する
アメリカの株式市場への進出は、日本の企業にとって非常に大きな節目です。
特にナスダック(NASDAQ)への新規上場(IPO)は、世界中のテクノロジー企業をはじめとするスタートアップが目標とするマイルストーンであり、資金調達の機会拡大、グローバルな知名度の向上、そして優秀な人材の獲得にもつながります。
しかし、ほとんどの人はIPOに関与した経験がなく、インターネットなどで公開されている情報も非常に限定的ですので、経営者がIPOに関する包括的な情報にアクセスできないという問題があります。
今回は、IPOについて検討し始めた経営者を成功に導くための重要なプロセスと、日本の企業が検討すべきポイントについて概説します。
■IPOの概要
IPOとは、企業の株式を初めて一般に販売し、証券取引所に上場することを意味します。
企業が新たに株式を発行し、既存の株式を売却することによって、事業を構築するための資金を調達することが可能になります。
企業が経営戦略の選択肢の1つとしてIPOの必要性を評価し始める状況はさまざまですが、一般的には資金調達、成長、国際化、各業界の変化、投資家の意向などがきっかけになります。
上場を成功させることで、事業拡大の機会創出や投資家への出口機会の提供にもつながる他、顧客、サプライヤー、従業員に対する事業やブランドの認知度を向上させることもできます。
すべての事業が上場企業の環境に適しているわけではありませんが、多くの急成長中の企業にとって、IPOは成長を加速させるために必要な資金を調達することができる方法です。
IPOを検討し始めたばかりの多くの企業にとって重要なのは、次の成長ステップとしてIPOは正しい選択なのかどうかを判断することです。
IPOにはメリットだけでなくデメリットもあり、準備の負担や市場環境によっては途中で断念する企業が多いのも事実です。
そのため、さまざまな要因を検討しながら、なぜ企業がIPOするのか、IPOによって何を実現したいのか、という最も基本的な問いに答えることが成功の鍵となるでしょう。
■IPOのメリット・デメリット
上場後も業績を上げている企業は、IPOのメリットとデメリットを比較し、企業や株主の目的に照らして検討しています。
メリットは数多くある一方で、デメリットも多くあるため、IPOによるリスクや負担の増加も理解し、これらに対応したうえで準備を始めることが大切です。
(1)メリット
- 株式市場へのアクセスによる資金調達
- 消費者の注目度、ブランド認知度、評判の向上
- 上場株式がM&Aの対価として機能
- 既存株主の出口となる選択肢を提供
- 人材獲得の競争力向上
- 株式報酬によるインセンティブの提供
(2)デメリット
- 上場準備の時間とコスト
- より高い水準での情報開示要件
- 上場維持に関連する追加コスト
- 議決権を持つ新規投資家の出現
- 買収されるリスク
- 業績へのプレッシャー
- コーポレートガバナンスの義務
■IPOの成功要因
企業の株式を買うか買わないかは最終的に投資家の意思によって決定され、特に機関投資家の動きは株式市場への影響力が大きいため、IPOを検討する際には機関投資家の視点で見ることも必要です。
機関投資家が魅力的だと思うIPOの要因をいくつか挙げてみます。
- 強力な経営陣
- 説得力のあるエクイティストーリー
- 適正な上場価格設定
- 適切なタイミング
- 法規制や投資家の期待に応える準備など
IPOの準備は早めの行動が必要とされます。
IPOを単なる資金調達のイベントではなく、公開企業になるための企業変革のプロセスとして捉え、およそ12~24カ月の準備期間を取ることが理想的です。
最初のステップとしては、準備体制の評価から始めるのが一般的で、外部専門家の適切なチームを編成しアドバイスを受けることによって、IPO後もスムーズに運営できるよう、上場企業のように行動できる体制を整えておくことが重要です。
ここまでの記事では、IPOの意義やメリット・デメリットについて、また機関投資家が魅力的だと思うIPOの要因について解説いたしました。
以降の記事では、IPOについて検討し始めた経営者を成功に導くための重要なプロセスについて概説します。
■STEP1 IPO計画
(1)代替案との比較
IPOは優れた資金調達手段ですが、株主や企業の目的に照らし合わせて、他の資金調達手段もすべて評価することが重要です。
IPO以外の選択肢としては以下の代替案が考えられます。
- 第三者割当増資
- 戦略的投資家への売却
- プライベートエクイティ(PE)やベンチャーキャピタル(VC)への売却
■デュアルトラック戦略
代替取引の可能性を考慮すると、IPOよりもベストな選択肢が現れることがあり、2つ以上のルートを並行して準備する場合もある。これをデュアルトラック戦略という。このプロセスでは、全体の手続きにかかる期間や費用なども踏まえて、企業にとってどの選択肢があり得るのかを評価する必要がある。
(2)証券取引所と上場セグメントの選択
POを選択して次に必要なプロセスは、証券取引所と上場セグメントを選択することです。
アメリカの主な証券取引所には、ニューヨーク証券取引所(NYSE)とナスダック証券取引所(NASDAQ)があります。
それぞれの証券取引所と上場セグメントによって、企業が満たさなければならない規制要件が違うため注意が必要です。
株式公開に向けては、社内体制をチェックし、規制要件に対応できるように準備を整えます。
これらの対策は、IPO後に上場を維持するためにも不可欠といえるでしょう。
例えば、NASDAQには、「Global Select Market」「Global Market」「Capital Market」の3つの上場セグメントがあるが、規制要件が最も低いとされている「Capital Market」に上場するためには、以下の3基準(資本基準、時価総額基準、利益基準)のうち、少なくとも1つの規制要件を満たしていなければなりません。
NASDAQ Capital Marketの規制要件
代表的な規制要因 | 資本基準 | 時価総額基準 | 利益基準 |
株主資本 | $5 million | $4 million | $4 million |
浮動株時価総額 | $15 million | $15 million | $5 million |
事業継続期間 | 2年間 | – | – |
上場有価証券の時価総額 | – | $50 million | – |
継続事業からの税引前利益 | – | – | $750,000 |
浮動株式数 | 1 million | 1 million | 1 million |
株主数 | 300 | 300 | 300 |
マーケットメーカー数 | 3 | 3 | 3 |
入札価格または終値 | $4または$3 | $4または$3 | $4または$3 |
※代表的な規制要件を記載していますが、詳細についてはNASDAQガイドブックを参照
各証券取引所と上場セグメントの選択に当たっては、上場要件の検討と同時に、上場した場合のメリットも評価すべきです。
例えば、NASDAQへのIPOは以下のようなメリットが考えられます。
- グローバルな知名度・信用力の向上
- アメリカを中心とした機関投資家へのアクセスが可能
- 優秀な人材の採用
- テクノロジーなど新しい産業に対する高い上場価格
日本の企業の場合、アメリカまたは日本の上場のどちらの可能性もあるため、企業によっては両者の準備を併走して行うことがあります。
その場合、最終的に上場株価が有利なほうの証券取引所に上場する企業が多いです。
(3)チームビルディング
投資家にとって、経営陣の質はIPOを評価する際に最も重要な要素の1つといえ、強力なチームの構築はトップから始まります。
IPOに当たって、CEOは企業のビジョンと事業戦略を明確化し実行する一方で、CFOは社内の上場準備や外部の投資家対応に専念することになります。
他の経営陣と管理職は、企業の日常業務を遂行するための十分な能力を備えていなければなりません。
そのため、これらを達成するための十分な人材をそろえておくことが肝心です。
また、IPOの準備プロセスにプロジェクト管理を導入することも慣行になっています。
多くの場合、プロジェクト・マネジメント・オフィス(PMO)が設置され、IPOのプロセスとタイムラインの組織化、計画、監督を行うことで失敗のリスクを軽減し、期待した結果をもたらすことが可能になるでしょう。
■適切な外部専門家集団(投資銀行、弁護士、監査法人、コンサルタント)
IPOプロジェクトでは、株式公開の経験を持つ適切な外部専門家集団を選ぶ必要があります。
経営陣と外部専門家の連携したチームワークが必要なため、株式公開予定日を見据えて十分な余裕を持ってチームを結成しましょう。
主な外部専門家と、それぞれの役割は次の通りです。
【投資銀行:リードバンクとして新規株式引受】
- エクイティストーリーの作成
- オファーの構成
- ロードショーやプライシングの実施
- デューデリジェンスの実施
【弁護士:リーガルアドバイザーとして助言】
- IPOのストラクチャーに関する法的アドバイス
- 上場申請書および目論見書の作成(主に財務諸表以外の部分)
- IPOにおける法的リスクと規制に関するガイダンスの提供
【監査法人:外部監査人として財務諸表を監査】
- 財務諸表および内部統制に対する監査証明の発行
【会計コンサルタント:財務諸表の作成に関するアドバイス】
- 財務諸表の作成、レビュー、アドバイス
- 社内向け研修・監査法人対応
- アメリカ証券取引委員会(SEC)審査対応
【税務コンサルタント:税務リスクに関するアドバイス】
- デューデリジェンス
- 既存投資家や従業員のタックスプランニング
- ストックオプション税制に関するアドバイス
上場準備のコストを抑えようとして経験の浅い専門家を雇うと、サービスの品質が低下して本末転倒になってしまうことがあります。
そうならないよう、専門家の選定は特に慎重に行いましょう。
- IPO:「Initial Public Offering」の略。企業の株式を初めて一般に販売し、証券取引所に上場すること。日本語では「株式公開」「新規公開株」などと呼ぶ。
- NASDAQ:「National Association of Securities Dealers Automated Quotations」の略。ニューヨークに拠点を置くアメリカの株式市場であり、上場数は3,500以上(2023年12月時点)。
- エクイティストーリー:IPOを目指す企業が投資家に事業内容や将来のビジョンなどをプレゼンするための資料。
- ロードショー:企業の経営陣が潜在的な投資家と実際に直接コミュニケーションを取り、自社の魅力を伝えるプレゼンテーション。
- デューデリジェンス:企業の価値や将来性、リスクなどを外部の専門家が調査・分析すること。日本語では「適正評価手続」などと呼ぶ。
(4)登録届出書の準備
監査法人と会計コンサルタントが決まると、登録届出書(Form S-1)の草案の作成が始まります。
Form S-1とは上場するためのSECへの届出書のことで、事業の内容、リスクの説明、ガバナンス体制、財務諸表などを含んだ目論見書に相当するものです。
アメリカでIPOを目指す企業は、原則としてアメリカの会計基準(US-GAAP:FASBが発行)に従って連結財務諸表を作成しなければならない他、過去3年分の年次財務諸表を添付する必要があります。
【事業概要】
- 企業がどのような事業を行っているかの詳細な説明
- 事業モデル、市場、競争環境、成長戦略の説明
【リスク要因】
- 投資家が知るべき事業や株式の特定のリスクを詳細に列挙
- 市場リスク、運用リスク、法的・規制上のリスクなど
【財務情報】
- 過去と現在の財務情報と包括的なデータ
- 通常、過去3年間の連結財務諸表と監査意見を含む
【資金使途の説明】
- IPOで調達する資金の使用目的について説明
- 事業拡大、債務返済、その他の財務戦略に関連する説明
【経営陣と主要株主の情報】
- 企業の役員、取締役、および5%以上の株式を保有する主要株主の情報
【株式の詳細説明】
- 株式の種類、数、予定される価格範囲などの情報
- 株式を管理する証券会社の情報
【法的手続き】
- 企業が関与する訴訟や法的問題についての情報
【市場と取引条件】
- 株式が上場される市場とその条件についての情報
■US-GAAP の導入
IPOの機会を最大限に活用するために、短期間でUS-GAAPを導入するにはどうすればよいのでしょうか。
最初のステップは、現在の会計方針とUS-GAAPとの差異を特定するための診断を受けることで、このプロセスでは、US-GAAPに精通した会計コンサルタントにサポートを依頼するのが一般的です。
診断フェーズの最後には、差異分析だけでなく、対策の優先順位付けや具体的なアクションプランを含むコンバージョンロードマップを作成する必要があります。
これに基づいて会計方針が選択され、スケルトン、レポーティングパッケージが作成されます。
さらに、経営陣や管理職の理解を深めるために社内研修を実施する場合もあります。
■PCAOB 基準の監査
連結財務諸表ができあがったら、監査法人からPCAOB(Public Company Accounting Oversight Board)基準の監査を受けなければなりません。
PCAOBとはアメリカにおける監査法人の監督機関で、上場企業の財務諸表および内部統制の監査を実施する事務所の監査業務の品質を監視しており、非上場企業よりも高い品質の監査が要求されます。
監査には時間を要し、IPOの直前に終了することも少なくありません。
■FPI とEGC の優遇措置
日本の企業が検討すべき事項として、FP(I Foreign Private Issuer)とEGC(Emerging Growth Company)の適用があります。
それぞれの条件に当てはまる場合の優遇措置は次の通りです。
登録申請書がForm S-1ではなくForm F-1になり、国際財務報告基準(IFRS)の選択や四半期報告の免除、年次報告書の提出期限の延長などが認められています。
直近2期分のみの連結財務諸表の提出、内部統制監査の最大5年間免除などが認められています。
近年、日本から上場する企業はFPIとEGCの両方を適用することが多く、これらはコスト削減と負担軽減といった面で大変魅力的な優遇措置ですが、投資家から見た場合にはデメリットも考えられます。
まず、アメリカではUS-GAAPが広く使用されているため、投資家がIFRSに基づく財務報告を理解し比較する際に、追加の労力が発生します。
さらに、四半期報告の免除や年次報告書の提出期限の延長は、財務分析に必要な情報が適時に開示されないということの裏返しでもあります。
そのため、これらのステータスに関連するデメリットや課題を理解し、投資家への長期的な信頼性と透明性を確保するための戦略を慎重に計画する必要があります。
■財務機能
IPO後はより多くの外部報告と開示の拡大が必要となるため、会計、開示、財務管理、コーポレートガバナンス、IR、内部統制、コンプライアンスなどの分野における人材を確保し、さまざまな規制に対応する必要があります。
IPOによって財務情報の作成に影響する点がいくつかあり、例えば財務諸表報告に使用される会計基準、期中報告の頻度(四半期報告)、決算のスピード、新規の財務開示や拡大された財務情報、投資家やアナリストに対する財務ガイダンスなどが含まれます。
これらの転換に対応するため、財務部門の主要メンバーに求められる要件水準も高くなっていきます。
■税務上の留意点(タックスプランニングの必要性)
過去と将来の両方の税務リスクを特定するために、広範な税務デューデリジェンスを実施する企業は多いです。
IPOに当たって、現在の企業構造を簡素化または最適化するための組織再編、事業活動の分離、株式資本の変更や増資などを行う場合は、繰越欠損金などの税金資産が失われないようにすること、タックスプランニングが有効であることを確実にしてきましょう。
IPOに先立ち、主要株主は自らの税務状況とIPOによる潜在的な税務上の影響について検討・評価します。
特にストックオプションなどの株式インセンティブにはさまざまな税務上の影響やリスクがあるため、納税負担の可能性について税務専門家のアドバイスは欠かせません。
- IPOの計画を主導し、財務部門の改善を行いながら、社内外のグループと連携する
- 財務部門が株式市場や規制機関の基準を満たすように準備する
- しっかりとした内部統制を確立し運用する
- 投資銀行や弁護士、監査法人、コンサルタントのチームを編成する
- 企業の業績を株主に魅力的に見せるエクイティストーリーを作成する
- 利害関係者に重要な情報を適切に伝え、法令順守と開示義務を果たす
- 財務報告の迅速化のために専門チームをつくる
- 迅速に決算を終えるためのプロセスを整える
- 財務諸表を短期間で作成する
- 会計処理の明確化文書を作成する
- 会計方針と手続きを定めて共有する
- 開示要求に対応する
- IPOに必要な財務数値の作成
- IPO後のキャッシュフロー予測のサポート
- 資金管理
- 会計コンサルタントとの協力による監査対応
- 財務方針と手続きの文書化と確立
(5)社内インフラ(内部統制)を整備する
上場企業の内部統制は、一般的な非上場企業とは大きく異なります。
上場要件に準拠した四半期報告書や年次報告書のための内部統制の構築、ITシステムの整備、さまざまな資料の文書化といった準備が必要で、内部統制のテストは上場企業にとって恒常的なものとなっています。
内部統制の整備と運用は、過去の不正事例への対応や多くの国で規制遵守の要求が高まっていることに起因していますが、効果的で費用対効果の高い内部統制はリスクを低減するだけでなく、関連するビジネス情報を迅速かつ容易に把握、整理、評価し、迅速な財務分析とレポーティングを可能にするため極めて重要といえます。
■評価基準
日本の内部統制の評価基準(J-SOX)では、内部統制の3点セットと呼ばれる業務記述書、フローチャート、リスク・コントロール・マトリックスを準備し、内部監査による整備・運用評価が実施された後で監査法人が監査を行うことが一般的です。
アメリカでも基本的にはこれと類似するプロセスを行いますが、アメリカの上場企業では日本よりもかなり詳細な文書化が求められます。
これは、世界一厳格な監査といわれるアメリカのPCAOB基準の監査の品質が高いためで、上場会社は原則として、財務報告の適正性についての経営者による宣誓、経営者による内部統制の年次評価と報告、監査法人による内部統制監査が必要となります。
新規上場の場合、経営者による内部統制に対する年次評価と報告、監査法人による内部統制監査についてはIPO後2年目の年次報告書から必要となります。
ただし、前に説明した通り、EGCに該当する場合は、監査法人による内部統制監査についてIPO後5年間は免除されるという優遇措置があります。
EGCの優遇措置を適用する場合は長い猶予期間があるように思えますが、内部統制の整備から運用には時間がかかるため、IPO準備段階から立案し実装していく必要があります。
■STEP2 IPO準備
(1)スケジュールを作成
経営陣は包括的な事業計画と、株式公開に必要な業務、財務、投資家対応に関する詳細なスケジュールを作成する必要があります。
事業計画は企業の明確なロードマップとなり、ステークホルダーに伝えられるものでなければなりません。
事業計画には2つのケースと前提条件があるのが一般的です。
1つ目は、IPO資金なしで企業が前進することを示す「プレマネー計画」。
もう1つは、IPO資金で前進する「ポストマネー計画」。
これらの事業計画は、企業の公正な評価額を見つけるためにも使用されます。
(2)デューデリジェンスを実施
IPOの場合、特に目論見書作成のため、将来見通しに関する財務情報はデューデリジェンスの対象となることが多く、その結果は企業のバリュエーションに使用されます。
また、昨今の不安定な株式市場環境において、IPOを目指す企業の多くはデュアルトラック戦略を計画しており、IPOとM&Aの準備を併走して行っています。
売却される事業の種類によっては、プライベートエクイティや、その事業と自社の事業の統合に関心を持つ戦略的投資家が買い手となる可能性があり、M&Aにおけるバイサイドのデューデリジェンスが行われることもあります。
- IR:「Investor Relations」の略。企業の財務状況、業績、将来の見通しなどを株主や投資家に向けて発信する活動。
- ストックオプション:決められた額で自社の株式を購入する権利。株価が上昇すれば利益(報酬)になり得る。
- リスク・コントロール・マトリックス:ビジネスにおけるリスクとその対応手段(コントロール)を文書化したもの。内部統制を行う際に必要となる。
- プライベートエクイティ:未公開株式(未上場企業の株式)。
(3)エクイティストーリーを確立
IPO準備プロセスの重要な部分は、企業のエクイティストーリーの確立にあります。
エクイティストーリーとは、投資家に向けてビジネスの特徴や企業の強み、成長戦略などを分かりやすく伝えるためのプレゼンテーションをまとめたものです。
IPOでは、資金使途や成長戦略を投資家に効果的に伝える資料になります。
投資家に自社の魅力を伝え、企業価値を向上させる最も基本的な手段であるため、エクイティストーリーを構築し、投資家とのコミュニケーションを通じて継続的に磨き上げていくことが重要となります。
投資家は、業績が良く確かな実績を持ち、成長を持続させるための実行可能な計画を持つ企業を求めており、通常、IPO資金を新規上場企業の成長に充て、研究開発、マーケティング、設備投資などの資金を事業拡大のために投入する企業に投資することを好む傾向にあります。
■STEP3 IPO実行
この段階では監査法人による監査が終了し、Form S-1(またはForm F-1)をSECに提出します。
SECの審査プロセスが始まると、SECの担当官が詳細にレビューを行います。
企業は担当官からの質問やコメントに応答する必要があり、連結財務諸表の修正が必要な場合には追加の監査作業が必要になるケースもあります。
SECへの提出から審査が終わるまで、一般的に3~4カ月を要するでしょう。
■日本企業の留意点
日本企業にとって特に留意すべき点は、Non-GAAP項目および、キー・パフォーマンス・メトリックスの開示です。
これは企業が経営管理の目的で特に重要と考えている指標と数値を説明するものであり、例えば、顧客数、契約件数、EBITDA、フリー・キャッシュ・フローなどが挙げられます。
近年の傾向として、この開示に対するSECの担当官からの指摘事項が増加しています。
典型的な指摘事項としては、なぜその指標が経営管理に使われているのか、財務諸表数値からどのように算出するのか、他のページで開示している数値との整合性、などに関する指摘が増えていますので、コメントにすぐに対応できるように十分な文書化を進めておきましょう。
■効果的なロードショーの実施
IPOを目指す企業は、自社の売り出し価格を最大化するためにロードショーを行います。
ロードショーは、企業の経営陣が潜在的な投資家と実際に直接コミュニケーションを取り、自社の魅力を伝えるプレゼンテーションです。
このプロセスでは、主に投資銀行が主体となって経営陣をロードショーツアーに連れて行くことが一般的です。
ロードショーは1~2週間にわたって複数都市で集中的に行われ、主要な投資家や機関投資家に企業を紹介します。
多くの新規上場企業は、IPO直後に高い株価がつきます。
しかし、IPO後も市場の関心が適切かつ十分に維持されない限り、企業の株式の取引量と株価も低下する可能性があります。
そのため、IPOが終わると、企業のエクイティストーリーを語り直し、微調整するプロセスが始まるのです。
継続的な主要投資家との対話、カンファレンスへの出席などを通じて潜在的な投資家へのオープンな説明機会を開拓し、幅広い企業のセルサイドアナリストをターゲットにする準備が必要となります。
このプロセスではIR担当者が非常に重要な役割を果たします。
積極的なIR戦略を策定し、リサーチアナリストやセルサイドアナリストとの関係を深めることによって、企業のビジネスを理解してもらうことも大切です。
また、経営陣は、四半期ごとに目標が達成されるよう、予測や見通しの正確さが求められます。
なぜなら、ネガティブなニュースが1つでもあれば、それは株価に大きな影響を与える可能性があるからです。
■適正な上場価格の設定
IPOの成否は上場価格設定によって大きく左右されるため、バリュエーションとプライシングがどのように決定されるかを十分に理解する必要があります。
投資銀行は一般的にインカムアプローチとマーケットアプローチの2つの評価方法を使用して、企業のバリュエーションを行います。
例えば、インカムアプローチでは割引キャッシュフローや割引配当、マーケットアプローチでは同業他社倍率や類似取引倍率などが使用されます。
プライシングに当たっては、バリュエーションで算出された価格からディスカウントされることがあります。
一般的に、投資のリスクが高いほど要求されるリターンも比例して高くなり、その結果として投資家が支払う上場価格はディスカウントされて低くなるのが普通ですので、前に説明した効果的なロードショーが必要になってきます。
経営陣によって説得力のあるエクイティストーリーを投資家に伝えることによって、投資家からの信頼を生み、投資家が感じているリスクを低下させ、その結果、評価額を上昇させることにつながるからです。
投資銀行は、ロードショー中に投資家からフィードバックを受け、理想的には株式購入の注文を受けることになりますが、好意的なロードショーの後であれば、ディスカウントを小さくすることができ、上場価格はバリュエーションと非常に近いものになるはずです。
一方で、上場価格には、直近の株式市場とIPOの傾向や、比較企業(ピアグループ)の状況といった外部環境も大きく影響しています。
■STEP4 上場維持(IPO後)
企業はIPO前までは外部専門家からサポートされることが多いですが、IPO後はサポートが少なくなるため、新規上場企業としての経営を自走しなければならず、さらに株式市場の規制対応や、IPO前に投資家に約束した計画の実現にも注力しなければなりません。
世間の注目を浴びることになった経営陣にとって、投資家とのコミュニケーションは非常に重要となります。
企業の業績や行動は世間の注目を浴び、ニュース番組やウェブサイト、SNSといったメディアで定期的に取り上げられるようになり、株式市場では投資家の要求に対するより迅速なIR対応が強く求められるからです。
そのため、アナリストや投資コミュニティ、金融メディアとの継続的な対話を確立することも重要な仕事だといえます。
また、株式市場やコーポレートガバナンスに関する規制が絶えず変化するなか、質の高い財務情報、コーポレートガバナンスの強化も求められています。
■規制遵守の維持
新規上場企業は、証券取引所やSECの規制に対応しながら、株主、規制当局、株式市場に対し、四半期および年度ごとの報告書、適時開示、関連当事者との取引、委任状、株主総会など、さまざまな情報開示を通じて企業の動向を常に伝える義務があります。
非上場企業であれば、タイムリーな財務報告をしなくてもあまり大きな影響はありませんが、上場企業の場合は四半期および年度ごとの定期的な財務報告を正確かつ期限内に提出できなければ、株価は低迷し、上場維持基準を満たすこともできなくなってしまうでしょう。
規制対応に関しては、内部リソースの確保や人材育成が追いついていない新規上場企業の場合、会計コンサルタントを起用しつつ、徐々に内製化に取り組む企業が多いです。
■上場維持にかかる費用
上場を維持するためには、証券会社への年間手数料の他、監査法人などの外部専門家への報酬も発生します。
以下はNASDAQ「Capital Market」の手数料です。
NASDAQ Capital Market
発行済株式総数 | 年間手数料:国内株および外国株(アメリカの預託株式を除く) | 年間手数料:アメリカの預託株式 |
最大 10 million | $49,500 | $49,500 |
10 ~ 50 million | $65,500 | $59,500 |
50 million 以上 | $85,000 | $59,500 |
※2024年1月1日時点。詳細についてはNASDAQガイドブックを参照
- EBITDA:「Earnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortization」の略。「営業利益+減価償却費」などの方法で算出する利益。
- セルサイドアナリスト:証券会社など株式を売る側のアナリストで、投資家向けに銘柄の情報を収集・分析する。
■まとめ
一般的に、アメリカでのIPO準備には最初の検討段階から実際に市場での取引が開始されるまで、最低でも12〜24カ月の期間が必要といわれています。
プロセスの複雑性、企業の準備状況、市場環境などによりこの期間は大きく前後する可能性がありますが、準備に時間がかかってIPO機会を逃すことのないよう、信頼のおける外部専門家のサポートを得ながら効率的に準備を進めていくとよいでしょう。
監修者
近衛 祐哉
筑波大学第三学群社会工学類卒業後、山形銀行に就職。 2014年、トーマツのグローバル・サービス・グループ部門に入所、大手総合商社および外資系企業の監査を担当。 18〜20年にかけてデロイト・ロンドン駐在、投資会社や新エネルギー会社を中心に監査業務を提供。 22年、デロイト・サンノゼに入社、米系テクノロジー企業のNASDAQ上場支援やM&Aの会計アドバイザリーを担当。 24年、ユニヴィスアメリカ入社、会計コンサルティングを中心とするアメリカ進出サポートに従事する他、カリフォルニアでの事業拡大や採用活動を行っている。 日米の公認会計士資格およびMBA(南カリフォルニア大学)を保持。